2012年7月24日
日本二周目始末記
結果的には、4月1日松崎市長はじめカヌークラブの面々や応援者の方々に見送ら境川を出発したものの、6月13日苫小牧の勇払マリーナで狭心症を発症し中断のやむなきに至りました。
前回の2001年1月1日〜10月16日の日本一周時に比して印象深かった点を記してみたいと思います。
1、
天侯の不良 風雨、霧には悩まされ、75日間の旅でしたが内27日間の停滞を余儀なくされました。
前回は、287日間、6437km、稼働率76%、1日の平均漕航K30km、今回は、75日間、512km、稼働率67%、1日の平均漕航K26kmとすべてのデータが10%以上低下しています。
特に濃霧の時は目的地の視認が出来ずコンパスと海岸に砕ける波の音や白く舞い上がる飛沫を便りに海岸線を確認しながら進みますが、油断すると崩れる波に飲み込まれそうになります。
現在地の確認は、1分間のパドリング数(ひと漕ぎで約1.7m進行)を数え時速を推測し、経過した時間で進行した距離を推測し、それを20万分の1の道路地図と照合しておおよその位置を推測し、それに、向かい風や潮流によるパドリング数の減を適当に勘案して決定します。
予定の時間が過ぎても霧で目的地が視認できないときは、時間の経過とともに不安が募ってきます。
別に急ぐ旅では無いのですが、停滞日数が重なるとついつい出航したくなるのですが、漁師さんに今日はまだ駄目と止められたりもしました。
天気予報や天気図を参考にしているのですが、地元の事は漁師さんの意その地区の天候や海況を判断するには一番参考になります。
2、
漁師さんとの交流、銚子漁港では4日間ヒラメやスズキの一本釣りの漁師さんと過ごしたのが印象深い。05:00ぼつぼつと溜まり場である浜小屋に集まり始め、今日は波が背折れしているから、今日は東風だからダメとか出漁の可否を判断し、不可となればそのまま14:00頃までよもやま話に花が咲く、それぞれの漁師さんの経験談、仕掛け、仕掛けの流し方、漁場等々、冗談混じりに話してはいるが、秘密の漁場や仕掛けについてはなかなか本音を吐かない駆け引きが面白い。
私も結構話の種にされ「ここにいるバカがよう」と言いながら、夜は寒かろうとストーブを用意してくれ、暇だろうと言ってはテレビえを持ち込んでくれ、08:00には「満腹定食を食いに行くぞう」と言って行きつけの食堂に連れて行ってくれる。
漁師さんも今年は天候不良が多く漁に出られず、さっぱり稼ぎにならないと愚痴っていました。こんな年は13年にいちど巡ってくるそうです。
漁師さんは、地元の天候については流石に詳しく、天気図や地区の管区気象情報を参考に雲の種類や流れ、潮の干満、風の方向等をもとに適切に判断しています。
毎日の生活のことですので決して冒険するような事は無く非常に慎重な面があり、特に、カヌーに対しては「こんな小さな船で」との思いがあるようで、こちらが大丈夫と思っても出航を強く反対されることがあり、それを聞き流して出ると結構苦労することがあります。
3、
津波の被害 まさに想定外!大きな港もそうであるがマスコミに登場しない小さな漁港等は当日の惨状がそのままの状況、港の多くは1m〜1.5mも地盤沈下しており、満潮時には港そのものが水没してしまう状況にあり、原状復帰には程遠い状況です。
地理的条件によってもその襲われ方は異なり、第一波から破壊力を伴って押し寄せてきた所、徐々に潮が満ちてきて気が付いたら家ごと冠水しており、その後の引き波で何もかもさらわれた所、返し波が一晩中続いた所、高い防潮堤を超えてその内側の市街地に溜まった海水がその後なかなか引かず、二ヶ月間も外部から孤立していた所、その為支援を受けられず沢水や流れ出た自販機等の水を利用したり、被災した車からガソリンを抜いたりしながら自活した所等、様々な状況がありました。
援助金や援助物資の配布のあり方についての不満も聞かれた。その遅れはもとより一見平等そうな一律支給の不幸平さや偏り、不必要な物資を大量に持ち込まれその始末に困ったこと等、現場ならではの話も聞くことが出来ました。
今回の津波で、海抜21m以下の所には住居を建てられない定めになったようですが、明治大地震、昭和大地震、チリ地震時にと、この100年間に3度も大きな津波に襲われその都度甚大な被害を受けてきており、各地にその時の水位を記録した碑や、被害を記録した資料も残っているのですが、日が経つと人間は忘れるのですね。
地元の方も「そうは言っても港の近くにいないと仕事になんね〜よ、「又いつか戻ってくるよ」と苦笑いしていました。
牡蠣、わかめ、昆布等の養殖再開のための準備もしておりましたが、「実際に収入になるのは3年後だよ、それまでは借金だらけだよ」と言いながら黙々と作業に当たっていました。
それでも皆さん結構明るく、旅の目的の一つに被災地の方々への励ましやら応援メッセージの一つでもと思っていたのが、逆に、「頑張れよ!気をつけろよ!」と見送ってもらったり、近辺の気象状況の情報を頂いたり、買い物に連れて行ってもらったり、差し入れを頂いたり、泊めていただいたりととお世話になる事の方が多く感謝!感謝!でした。
4、
食事について 基本的にはすべて朝食と夕食は自炊、昼食は艇の上で行動食を兼ねてミニ羊羹とかミ二餡パンを、あまり空腹にならないうちに適時とります。
完全に空腹になってしまうとパワーが抜けてしまい、それから食事をとっても効いてくるまでに時間がかかるからです。
非常食として切り餅とインスタントラーメンを5食分くらい持ち、ご飯を炊くのが面倒な時などは使います。
ご飯は、米をペットボトルに3kg程入れて持ち歩き、夕飯の時に朝の分まで一緒に炊きます(災害時用にめし袋という特殊な紙で出来た袋が市販されており一袋で一合弱が炊けます)。
タンパク質は卵を中心にし、野菜を切らさないように、人参、胡瓜、ピーマンなどをスティックにして、マヨネーズと醤油と胡椒を混ぜたドレッシングで生のまま食べます。
他は、ベーコンと玉ねぎの炒め物、ナスや豆腐の味噌汁、目玉焼き等々の繰り返しです。要するにあまり手のかからないものです。
それと、一人分の買い物というのはなかなか難しいのです、冷蔵庫が無いのと積み込める量に制限があるのとで買い置きも出来ませんので、日持ちのする食材で、一人分か2人分の量を買えるものではなくてはならないからです。
岩手県以北の漁港では、テトラや岸壁に着いているムール貝や牡蠣(密猟にならないように地元の人に確認すると、誰もそんなもの食べないよとのことです)も立派なもので時々バター炒めにして食べました。
民宿に泊まった時などはそのボリュームに圧倒されます、海の幸が中心ですが、その中でも北山崎の宿での「どんこ汁」、見た目はぬるぬるしてグロテスクですが、これの塩仕立は最高!!
「これ食べな」ととれたてのどんこを頂いたこともあったが、調理の仕様も無く丁重にお断りしたこともありました、又、大間の民宿で出たウニの大きさも感激ものでした。
その他、地元の方が差し入れてくれる、行者にんにく、ミズ、山ワサビ、山ウド等の山菜類のおひたしや漬物も、香りも高く、野菜とも思えない味の濃さが体を元気にしてくれます。
目的の港についたら、まずテントを設営し、炊事用の水をもらい、買い物に行きますが、今回は、この買い物をするにも民家もお店も皆流されてしまい近くになく、歩くか、親切な漁師さんの軽トラに乗っけてもらうほかありません。
食事の支度をし、食事を済ませ、後片付けし寝袋に潜り込むまで二時間、朝はこの逆の手順でやはり二時間、この時間は慣れてきてもほとんど変わりません、あわせて2時間、普段の生活では家庭の主婦にお世話になる部分ですね、平凡な繰り返しの基本的なこの時間が無ければ日々の生活がスムーズにいかないのだなと、あらためて主婦の仕事の大切さを認識した次第です。
ちなみに、今回は1日1,000円、月30,000円の食費予算で暮らそうと計画しましたが、あちこちでお世話になったせいもありほぼ予算以内で過ごす事が出来ました。
5、
怖いもの、嫌なもの 大きなうねり、太平洋岸は南東からのうねりが何時も押し寄せ海岸でブレイクしていますが、サァファーが喜ぶような大きなうねりは、波がしらが崩れない限りカヌーはそれに沿って上下するだけですので大丈夫なのですけど、沖から山脈の様に盛り上がって押し寄せてくるうねりは恐怖です。
あれがそばまで来た時にはどんなに大きく盛り上がるのだろうと思うと生きた心地がしません。
見なければいつの間にか艇の下を通り過ぎていくのですから、出来るだけ見ないようにするのですが、怖いもの見たさでついつい見てしまうと「やばいやばい!」とつい体が硬くなってしまいます。
そのうねりが海岸に押し寄せ波頭が砕けて真っ白な飛沫を上げていく様は迫力満点、何時もマゥンテンゴリラのシルバーバックを想像させます。
怖い事は怖いのですが、後方からの適度に大きな追い波になると、それに乗りサーフイング状態になり艇が走り始め気持ちがいいのですが、それも程度問題でバウが半分程水面下に突っ込み始めるとこの終わりはどうなるのだろうと身構えてしまいます。
これに追い風が交ると、波の頂点でいきなり90度も艇が回されてしまい、進路を元に戻すのにラダーをいっぱいに踏み、片漕ぎを繰り返す羽目になります。
最近は、昆布、ワカメ、ホタテ、牡蠣等の養殖漁業が各地で行われており、それらの設備や建網の仕掛けが湾口等に多数設置されており、それらの上の航行は出来るだけ避けるようにしているのですが、数があまりにも多く迂回するには相当沖合に出なければならない時もあります。
凪の時はそれらの上を問題なく通過できるのですが、荒れてくると厄介な事になります。それらの仕掛けのロープが波の上下より水中に沈んでいたかと思うと、突然空中に現れたりして油断するとそのロープの下に挟まれてしまうことがあるからです。
雨の日のテント設営、これは一番嫌ですし装備がみんな濡れてしまうので参ります。
近くに民宿があればそれを利用しますし、時には流れ着いていたコンテナの中に避難したこともあります(石巻の月の浦で3日間)。
朝起きて雨が降っていたら、晴れるの待って濡れたものの乾燥させてから出発か早上がりしてかんそうに当たります。
いずれにしても、自然の持つ美しさや優しさ、そして圧倒的なパワーは人智をはるかに超えており、それに挑戦するなどといううのはおこがましい話で、日々、今日もよろしくお願い致します、今日1日無事に過ごさせて頂きありがとうございます、の素直な気持ちになれます。
6、
番外編 苫小牧に艇を預けっぱなしにしていたので、7月4日仲間の車に同乗し回収に行ったついでに知床半島を一泊二日で一回りしてくる。
その間ヒグマに5回、計8匹に遭遇する、うち二組は親子連れ。
まだ冬民明けのせいかまだ少し痩せておりあまり迫力は無かったが、何かの時の為にレンタルしたクマ撃退用のスプレー効能書きに、熊が2〜3mまで近づいたら吹きかけてくださいとあったが、それまではとても耐えられないだろ~な。
他、カラスに追いかけ回されている尾白鷲、蝦夷鹿の群れ、キツネ等にも出会えた。
半島の先端は、ゴルフ場の芝の様に綺麗になっているので聞いたところ、鹿の群れが食べた跡だそうな、鹿害の防止に地元は苦慮しているとのこと、環境保全もほおっておくだけではままならないらしい。
ウトロから相泊りまで65km、天候と川の流れの様な速い追い潮に恵まれたので1日で回れない距離ではないが、先端近くのコンブ漁番屋の方に、「ここにいると人恋しくてね、泊って行きなよ」と親切に言ってくださったので、ありがたく一宿二飯のお世話になった。
普段は羅臼で漁師をやっているご夫婦と、毎年コンブ漁の季節だけ博多からやってくるという年配の方との3人暮らし、TX、携帯、新聞無し、時々熊が訪れる環境がいいとの事。
旅の面白さ楽しさは景色や食にもあるが、やはり思いがけない人と人との出会いが一番印象に残ります。
又、厳しい海況の中でしんどい思いや、ひょとしたらこれで一巻の終わりかな等と思いながら悪戦苦闘していると、面白くもないTXを見ながらゴロゴロしている平凡で単純な日常がとても平和で幸せな時間に思えます。
実際に帰ってきてそのような時間の中に入ると、これでいいんだと自分に言い聞かせなければ落ち着かなかったりしますが。
やはり、囲碁に夢中になっている時が至福の時かな?
7月9日
今日は三浦です。
北海道は勇払マリーナに置いて来た艇を引き取りがてら、知床を一周して来ました。
7月4日 クリァウォーターの清水社長と千葉ファルトの細田さんに同行し、大洗からフェリーに乗り翌5日苫小牧着、勇払マリーナで艇を引き取り釧路に向かう。
途中ガス欠になるも、たまたま積んだいた3Lの予備ガスでなんとか最寄りのガソリンスタンドに辿り着き事なきを得る。
もう一人の同行者、平塚さんとも無事会合し、その日は釧路で一泊。
6日は、知床センターで熊に対するレクチャーを受けた後、
熊除けスプレーを借りるなどの準備をしてウトロにてキャンプをする。
7日、陸上班を、清水社長と平塚さんにお願いし、07:10細田さんと二人で出発する。
霧で知床連山の山並みは見えないものの中腹から海岸線はくっきりと見渡せる。
海は波も風もない絶好のコンデション。
途中、念願であった熊にも5度遭遇、うち二度は親子連れ、
近づき過ぎたか母熊が立ち上がってこちらの様子を探っていた。
他、鹿を沢山 狐 カラスに追いかけられる尾白ワシ ケイマフリ等に出会う。
難所のルシャ川の吹き出しの強風にも会わず、それどころか4ノット近い追潮(まるで川下りをしている様)に恵まれて、14:30赤岩に到着。ラッキーな事に小倉番屋の陽気な奥さんに、今晩は此処に泊まりなさいと云って頂く、有り難く一泊二食のお世話になる、感謝 感謝 感謝。
本日の漕航45km
8日、06:20赤岩出発、前半は向い潮向い風であったが後半はどちらも収まり、
10:30予定通り相泊着、漕航15km。
清水社長と平塚さんに迎えに来てもらい、女満別のキヤンプ地へ向かって初夏のドライブを楽しむ。
名シェフの清水社長の料理とワインで楽しい旅を祝って乾杯!
9日、北海道を縦断して苫小牧から再び船上の人となる。
出来ることならこのまま日本一周の旅を続けたかった。
6月18日
順天堂で精密検査を受けて来ました。
結果、全て問題有りませんでした。
室蘭〜登別〜白老と 3日程ハードなパドリングが続いた疲れ(身体的肉体的両面で)で血圧が上がり、一時的に心臓に負担がかかり狭心症の発作につながった様です。
今日の検査では、特に異常は無しとの事で、入院も免れましたが、指示されていた血圧の薬を飲んでいなかったのがバレ、厳重に注意されました。
まあ 暫くは自宅でおとなしくしています。
おさがわして済みませんでした。
6月17日浦安の自宅です。
昨日、苫小牧から強制送還されて帰って来ました。
沢山の方々から声援を受けて旅を続けて参りましたが、思わぬ事態で中断せざるを得なくなってしまいました。
私といたしましても大変残念な思いでおりますが、これ以上は皆様に余計なご迷惑ご心配をお掛けすることと思いこれで中断させて頂く事と致しました。
ありがとう御座いました。
6月15日
診断結果 狭心症
今回の旅は終わってしまいました。
6月14日
苫小牧 王子病院に入院しました。
今日午後から胃の具合が悪くなり、マリーナの人に地元の病院に連れて行って貰ったところ、心筋梗塞のおそれ有り と いうことで、救急車で苫小牧の王子病院に運ばれてしまい、
明日は精密検査を受ける羽目になってしまいました。
6月13日勇払マリーナ停滞
06:40一旦出航してみる。
防波堤を出た所でその先を諦める、15分1km程の航海。
宿直の人といろいろ話す、結論 老後は都市部のマンション住まいが一番、田舎暮らしで車の運転が出来なくなったら買い物一つ出来ない、病院にも行けない、庭は草ぼうぼう。
先程からマリーナの風力計が勢いを増し、南東の風9〜10mを示し始めた。
明朝にはおとなしくなっているように祈りながら…。
おやすみなさい。
6月12日勇払マリーナ停滞
出るかでないか、迷いの無い東風の強風。
今日は中で寝なさいと優しい言葉、早速テントを撤収する。
自転車を借りて食料の調達、シャワーを浴びてテレビを見て昼寝。
ただ残念なことに、機械警備が掛かっているので、ここの敷地内からは出入り出来ず、散歩も出来ない。
と いっても外は寒い、やっぱり暖房の効いた室内がありがたい。
勇払マリーナさん有り難う御座います。
6月11日06:55白老漁港発 15:00勇払マリーナ着35km
今までマリーナであまりいい思いをしたことはないが、ここは別。
水 トイレ 充電 荷物運びの台車 tvでの天気予報 テントの中への電灯 等々次から次と気を使ってくれる。ありがたし。
風も波も穏やかなのに、8時間かかって35km、時速5km未満とは情けない。
6月10日天気も少し安定してきた様なので、札幌から白老漁港へ弟に送って貰い、今晩はここで出航待機します。
漁師さんも明日は大丈夫でしょう と 言ってくれました。
この辺の名物ホッキ貝の刺身でも食べようかと思ったら、残念!7月1日からの解禁でした。
6月9日札幌で停滞 中。
朝から風強く午後からは雨も降り始める。ヨサコイソーラン祭りの躍り手達も大変だ!
苫小牧地方も同様な天気との予報で停滞決定。
図書館で全道の漁港の所在地を調べる、60kmもの間漁港の無い所も有り、今からなんだかがっかりしてしまう。
6月8日札幌の大通り公園にて。
桟敷席は予約でいっぱい、人垣の頭ごしに覗き見するしかありませんが、矢張りテレビで見るのと違い、迫力も色彩の華やかさも、何よりも演舞者の熱気と観客の拍手や歓声が会場を盛り上げています。
6月8日 身は札幌、艇は白老漁港です。
濃霧 のうむ ノームで出航できないのをいいことに、テントを新しくしたり、散髪に行ったり、ヨサコイの演舞を見物したり と のんびり?しています。
つぎの低気圧が又も来ていますので、明日も停滞するかも知れません。
ヨサコイの演舞も生で見ると、演舞そのものもそうですが、色彩の華やかさとその変化の素早さに感心させられます。
6月7日06:50登別漁港発 10:30白老漁港着 20km
濃霧の中苫小牧目指して出発。
久し振りの太平洋の大きなうねりにビビリながら進む。
うねりそのものは沖合を漕いでいれば問題ないのだが、濃霧で何も見えないので、うねりが海岸に打ち寄せるドドーンという音と砕け散る白い波頭とコンパスだけが頼り。
時々海岸線に寄っては、方向の確認といざという時のエスケープポイントの探査を行いながらジグザグに進む。
通常なら距離を伸ばせる海況なのだが、こうなにも見えないないと、こんな中で天候の急変で向かい風にでもなったらたまらないなと不安がつのる(今日の胆振地方の天気は、変化が激しいの予報)。
と 突然目の前に巨大な護岸が立ちはだかる。
これが白老漁港。
さっさと上がり、本来なら苫小牧で合う予定であった弟に来て貰い札幌の自宅に連れて行って貰う。
なぜか、白老で昨夜の霧雨で濡れたテント類を乾かしている2時間あまりの間だけ晴れ、その後は又霧が立ち込めやがて雨になった。
ラッキー!
明日はヨサコイソーラン祭りでも見物予定です。
6月6日06:45室蘭追直漁港発 13:50登別漁港着 25km
昨夜、北海道新聞の取材受ける。
前回の航海の記録、今回の記録にも目を通しており、更に札幌の弟にも事前に取材するなど、とてもよく勉強したうえで取材に来ており感じが良かった。
取材後は弁当や紅茶等も買ってくれたり、市内の案内もしてくれた、有り難う。
今朝出た時は霧ではあったがべた凪、今日は行けるぞ!と思った途端強い向かい風、ギリギリ ジリジリ頑張ってようやくここに着きました。
時速4km以下。
2日続きの力漕で筋肉痛です。
ついでに雨まで降って来ました…。
6月5日07:30沼尻漁港発 15:10室蘭の追直漁港着 35km
出発時から濃霧であるがベタ凪、40度に進路を保ちひたすら漕ぐ。
鈴木先生から頂いてきた携帯ラジオのお蔭で退屈しない。
3時間後チラッと霧が晴れ前方に山の頂が見えホッとしたのも束の間、又も霧が立ち込めたちまち視界0。
それから2時間、いくらなんでも陸影が見えるはずなのに周りは真っ白、ふと気付くと潮も右から左に流れている。
更に1時間、矢張り何も見えない、自分の現在地がだんだん判らなくなり不安がつのる。
と、その時霧が晴れ始める。
14時の方向に室蘭港が見える。
伊達方向に6km程流されていたのだ。
それから2時間潮に逆らっての力漕、ようやく追直漁港着、津軽海峡よりしんどい思いをしてしまった。
霧と潮流舐めちやいかん、反省!
6月4日06:30臼尻 発 12:10渡島沼尻 着 25km
この辺一体は、自宅前の浜に直ぐスロープが着いており、直接船を出せる様になってます。あれはプライベートビーチか?
朝起きたら霧雨でテントやマット類はびしょびしょ、といって外で作業するのに差し支える程ではない。
濡れたまま撤収し出発する。
10時ころから日がさしはじめ、駒ヶ岳が見え始めたが北海道は霧のかなた。
でも、海は油を流した様なベタ凪。
明日も凪たったら北東40度、室蘭目指して噴火湾を横断するぞ!
今晩は鈴木先生のお宅に泊めて貰います。
6月3日06:10山背泊港 発 13:10 臼尻漁港 着 30km
恵山の山々は、濃緑の山肌にツツジが咲き乱れとても綺麗、町人達が自慢するだけのことはある。
北海道はまだ寒い。体は運動しているから問題ないが、手が冷たい。
とうとうポギーを取りだして付けました。
上空50m位に霧が立ち込め1日中晴れず、さっぱり気温が上がらない。
でも波は穏やかなので、5日か6日には噴火湾を横断して室蘭へ渡る予定です。
津軽海峡の時もイルカがいっぱいでしたが、噴火湾もイルカの多い所なので楽しみです。
鈴木先生が差し入れを持って陣中見舞いに来てくれました。
焼き鳥弁当美味しく頂きました、有り難う御座います。
6月2日 03:55家内 五島さん 漁師さんに見送られて大間発。
漁師さんが明日は午前3時ころから潮が緩むよ、とアドバイスしてくれたので早起きするも、風はさほど収まってはいなかったが追い風なので出ることにする。
霧と早朝のせいで対岸はなにも見えない。
函館より更に北西に進路をとり漕ぐ、潮は、なるほど立ち騒ぐ程のことはない。
途中2本ほど幅1km位の流れがあり、潮目では海底から湧いてくる感じで流れていた。
目的地が見えないというのは不安になるが、1時間後に13時の方向に汐首岬の灯台の灯が、5秒と15秒の間隔で瞬くのを確認する。目的地が確認に出来たことと、
コースとりが間違えていなかったことに安堵する。
結果的には汐首岬の3km位のところに06:50着となった。
その後の恵山までの漕ぎのなんと気楽なことよ…。
6月2日03:55大間 発 06:50
汐首 着
思ったより早く海峡を横断出来たので、そのまま恵山へ向う。
恵山の山背泊漁港着
11:30 38km
待った甲斐が有り、幅1km位の潮流2本と、もやって対岸が見えなかったねが厄介だったが、他は順調であった。
とにもかくにも緊張していたので無事に渡れてホッ!としています。これから一人乾杯をします。
6月1日大間停滞
キヤンプ場にいろいろな人が来また去り、今日はまた長期滞在の薗部君と二人になった。
そこへ家内と五島さんが、飛行機で函館へ、函館からフェリーで大間へと遠路はるばる陣中見舞いに来てくれた、ありがたい。
今日も風が強く出航出来なかったので丁度良かった。
又も民宿 海峡荘 に泊まり、どでかい生ウニを堪能した。
これも旅の楽しみの一つ。
千葉県浦安市