4月30日仙台港発07:00 野蒜漁港近くの海岸着12:00 20km
予定通り斉藤さん夫婦と前田さんに迎えて貰い、温泉 コインランドリ− 買い物と1日案内していただく、そして弁当 漬け物 果物と大量の食料を差し入れて頂く、最高!
戻ってみると、食料を猫に荒らされラジオを盗まれていた、最低!
しかし、猫がインスタントラーメンや卵やお茶漬けの素を食べるとは知らなかった。
ラジオは斉藤さんが直ぐ買いに行ってくれプレゼントしてくれた、有難うございます。
野蒜漁港は津波で壊滅しており、新しい道路標識には 野蒜築港跡地 とあった。
4月29日08:10亘理港発 15:00仙台北港着 35km。
亘理港口の狭い水路を抜けた途端海上は濃霧、左に聞こえる海岸に砕ける波の音とコンパスを頼りに漕ぎ進む。
10時頃には霧も晴れ、渋滞のニュースを聞きながら順調に進んだが、仙台港近くまで来るとまたもや濃霧、仙台港に出入りする大型船やフェリーが霧笛を鳴らしながら交差している。
その合間を狙って港口を力漕して対岸の松ヶ浜漁港へ上陸。
明日は山形の斉藤さんが応援に来てくれると云う、野蒜漁港でお待ちします。
4月28日相馬港07:45発 14:00着 25km
幅40m長さ500m位の水路をサーフィン状態で入って行くとそこは 鳥の海と云う湖みたいな所。
スロープが無く、やむを得ず湖の真ん中にある小島にキャンプ。
明日波が高くなったらあの水路をどうやって抜けて行こう?
4月27日相馬港にて停滞中。
装備の乾燥と思って停滞しているのに一日中降り止まず。
雨そのものは津波で破壊された市場施設の屋根の下に居るので避けられるが、湿気は100パーセント。
それにしてもここの津波の被害も凄い、沖の防波堤には漁船が二隻乗っかったまま、海岸沿いの建物や住宅は根こそぎ無くなっているか破壊されている、現場で見ると写真やtvで見るのと違って、その時の恐怖や破壊力が実感出来る。
一方その被害地の跡に桜が咲き菜の花が咲いている。
人々も自然も又同じ場所で生活を再開しはじめている、逞しいものだ。
4月26日川尻港07時20分発 平潟漁港14時着。25km
ここで林さんに拾って貰い相馬港まで陸送してもらう、どうも有難う大変助かりました。
それにしても、日立港〜川尻港〜平潟漁港へとのこの2日間の進みが遅い、時速4km〜5kmにしかならない、年のせいか逆潮のせいか?
4月25日07時10分日立港発 14時川尻港着 25km
北の向かい風小波、結構順調に進んでいる様に思っていたが、大津港を予定通り過ぎ海況も一応安定していたので、一気に小名浜を目指そうと思い最後の岬をかわしにかかった途端周りは真っ白、コンパスだけが便りになってしまった。
まだ後方の視界は多少あったので引き返す、先程通り過ぎた大津港まで戻ったがなかなか港口が分からない。
それでもなんとか見つけて入港したがどうも様子がおかしい、確認するとなんと!川尻港との事。
思っていた距離の半分より進んでいなかった。
北風と向い潮のせいか?こんなことは初め。
明日は天候が午前中しか持ちそうもないのであらためて大津港を目指そう。
4月24日08時10分大洗港発 15時日立港着。
出がけに話し掛けてきたおじいさん、 6才の時東京で震災にあい、家族全て失い上野で浮浪児をしていたが、貨物列車の中で眠りこんでいるうちに大洗港まで来てしまい拾われてここで育った と言う。
朝食にぶり大根を頂き、昼食と栗の甘露煮の瓶詰めまで頂く。私の前に日本一周した森田さんも数日泊まって貰ったと懐かしがっていました。
4月23日07時30分鹿島港発 14時30分大洗港着45km。
南風に追われて進むもうねりは相変わらず高いし雨は降り続くしで視程はほとんどない。コンパスのnを見つめながらひたすら漕ぐ。
適当なキャンプ地もなく、雨も降り続くしたまらず民宿に入る。
4月22日11時 銚子発15時30分鹿島港着 30km
朝はいつもの通りの東北東の風、明日は大丈夫だよ の声に準備の確認と体慣らしの為、河口までテストに出て見る、納得の行く荒れ様。
ところが11時になると南の風に変わり
波も収まりはじめる。
即出航する。
風は南の追い風ではあるが海面はギザギザのまま、長い長い鹿島港の防波堤の先の港口は反射波と押し寄せる波とでグチャグチャ。
それから広い港内を50分もかかってキャンプ地を探しまわった。
ここは津波の被害のまま一切の復旧工事が行われていない。
コンビニまで往復8kmを釣り人の車で送迎していただいた、有難うございました。
4月21日銚子停滞。
今日は出るぞ!と出航準備を整えていると、 波が背折れしてるぞ、出るなら止めないけどな と やんわり牽制される。
しかし、流石に長引く時化にいらつきを見せ始め、いつもより多い8名も小屋に集まり情報交換を行っている。
天気回復の兆しは見られず、さらなる滞在を覚悟しなければならないか。
4日ぶりに銭湯に行きさっぱりする。
サラさんがtvで紹介され話題になる、ここにも馬鹿が居るけど世の中にはもっと凄い馬鹿がいるもんだ、と からかわれる。
4月20日銚子停滞3日目。
05時には漁師さんが三々五々集まって来る、そして出漁するかしないか、どの船が出たか出なかったか等の情報交換。
08時漁師専門の食堂へ、食後はまた小屋に戻り14時頃まで雑談、これが面白い!
呼び会いは、あだ名 屋号 所有する船名等なので、3日経っても皆さん名前は不明。
体験談や失敗談や噂話し。機知に富みユーモアに溢れ1日聞いていて飽きない。
基本的には科学的知見に基づいて判断し行動する一方、お宮参りに行き、漁に出たらその都度漁具にお神酒を上げると言う。
ブルーベリーヨーグルトをご飯にかけ、リンゴ ミカン スイカをおかずに食事をする と 云う話しに驚き呆れ大笑いして本日はおひらきとなった。
居心地がいいので居着いてしまいそう。
4月19日銚子にて停滞中。北東を向いた風車が景気よく回っている、いつになったら南に変わるのだろう。
五島さんと家族か来てくれる、昨日に引き続きサラさんを訪ねる。24日出航し真っ直ぐバンクーバーを目指すとの事、膨大な量の食料も用意されていたが、バンクーバーに着いた頃にはあの競輪選手の様な見事な大腿も人並みになるのだろか?
今日は小屋にtvも入れてくれた、紅八丸船長他川口漁業共同組合の皆さん有り難う!
4月18日05時テントをたたんでいると オーイ!こっちへ来い の呼び声、昨日は遅く着いたので誰にも挨拶する事なくかってに岸壁にテントを張ったので文句を言われるかと、漁師溜まりの浜小屋へ行ってみると、
お茶でも飲みな、どこから来た、年はいくつだ、へ〜たまげだな呼び付けて悪かったな なとなど話が弾み、南風になんねえとこっから出てけねえよ、今夜からこの小屋を使えばいいさ、安くて旨い食堂はあっち風呂屋はあっち と親切の数々。
感謝感激!
次々と帰航して来る漁船を見ながら おっ!あの船は深いな、いっぺえ穫れたんだべ 等々だべりながら時間を過ごし12時には誰も居なくなった。
自転車と手漕ぎポートで世界一周している女性 英国人 26才 に会いました。20日に銚子からバンクーバーに向けて出航するそうです。誰かこの人の情報を追えますか?
今日 明日は漁師さんの浜小屋をお借りして寝ます。
4月17日片貝発07時 銚子着17時 10時間52km疲れました。
予報はまだ波浪注意となっているが、沖には白波は見えない。港口を突破すればなんとかなるだろと出て見ると案の定ただうねりが大きいだけ。ゆったりしたリズムで私を追い越して行くだけ、風も発電風車がのんびり回る程度の向かい風。
これなら茨城県入りも有りかなと思ったが、犬吠崎から先がながかった。
おまけに犬吠崎の岩礁地帯でブーマーを頭からかぶってしまった、やっぱり犬吠崎はただでは通してはくれない。上がったら近所の方が銭湯まで乗っけて行ってくれた。
なんだか体が揺れています、もう寝ますお休みなさい。
漁協の事務所でコーヒーをご馳走になりながら波浪注意報の解除を待つ。
少し収まった様な気がしたので出て見る、港口を見ただけで停滞を迷わず決定、uターンもままならずバックで退避する。
こうなったらべた凪になるまでとことん待つぞ!
暇潰しに港内に流れ込んでいる作田川を遡って、伊能忠敬出生記念公園を見学する。
彼の51才から日本地図作成の偉業には前々から感心していたので、改めて勇気を貰った。
4月15日片貝にて停滞中。
波浪注意報は出ていたが頑張ればなんとかなるだろう、と、出て見たが注意報は伊達ではなかった。港の沖合い2kmまで出たところでギブアップ方法の態で逃げ帰る。
昨夜の強風でテントのポールが1本折れる、林さんに予備ポールを届けてもらう。ちょうど家族も来てくれる事になり、皆んなで九十九里の番屋に食事に行く、ボリュームの多いのに驚く!食べ切れないので残りは夕食に持ちかへる。
千葉県外房の各港もそれなりに津波の被害を受けており、太東でもそうであったが、ここ片貝でも漁港の施設は皆浸水したそうな…。
17時現在まだ波浪注意報が解除にならない、おまけにかぜまで出て来た。
07時幸治さんに送られて片貝漁港に来ると、すでに林さんが来てくれていた。
やがて細田さん夫婦も来てくれるという!
雨だけなら飯岡を目指しすつもりだったが,どうも風の具合がおかしい。
様子を見ていると港内でも波がたちはじめる。出航をあきらめテントを張る場所の確保に入る。
漁港施設の屋根の下を借りようとお願いすると、わざわざ事務所に案内してくれ応接室でコーヒーをご馳走になる。
そうこうしているうちに細田さん夫婦も来てくれ暫くの間そこでのんびりさせていただく。海老原さん小川さん成沢さんお世話になりました。
市場の屋根の下にテント張らせていただいたので雨は避けることは出来たがなにせ風通しがいい、今にもテントのポールが折れそう。
天気予報は何時の間にか強風波浪注意報に変わっていた。
4月14日片貝にて待機中。雨だけなら出るつもりだったが北の向い風も思ったより強いので、暫く待機します
4月13日太東発06時40発 片貝着12時。
港に着くと オーイの声、なんと!千葉ファルトの幸治さんが出迎えてくれる、そのまま一宮の自宅へ拉致されてお風呂と洗濯のお世話になる。風呂は露天風呂ビールとおつまみ、のどかな田園風景の中に蛙、ああ、天国天国。
今日は海況も良かったし、テントとも張らずにすむし…
天国天国。
4月12日10時05分大原発 太東着12時10分。
全ての濡物を乾かし出航の準備完了、だが山口船長は 午後にならないと昨日の波は収まらないよ のアドバイス、しかし待ちきれずに10時に出てしまう。
波はしっかり残ってました、私を追い越して行く大きなうねりはマウンテンゴリラの背中の様に迫力がある。
16時から押し寄せる波を見ると胃が痛くなりそうなので見ない様にして漕ぐ。
太東に着くとまたまた山口船長に会う 波が高いから今日は出るなと言いに行こうと思っていたとこだよ との事、更に夕方テントを設営しているともう一度様子を見に来てくれる!感謝感激!
太東カフェの鍛治さん沼田さん那部さん楽しいひと時をありがとう、無事一周を終えたら約束通りツーショットの写真をお店に飾り伊勢海老のお造りをご馳走してよ。
さあ明日は片貝を目指すぞ!
港の朝は早い、03時には早い出漁の船のエンジン音が響きわたる。
海況を見ると穏やか、これなら出られたかなと一瞬思うがやがて風が強まる。
幸い雨は時々ポツポツ程度なので例によって街中をほっつき歩く。
食事の段取りも大分進歩して来たが、献立には工夫がいる、なにせコンロが一つなので、手順よくやらないと最初の料理?が冷めてしまう。
今朝のメニューは、ャと豆腐の味噌汁 昨夜の残り と 目玉焼き と パン二枚。
有線放送が 今夜から明朝にかけて風速15mの雨風、波は6mに達します と 恐ろしい事を言ってます。おお怖!
テントには防水スプレーを一缶吹き付けました。
4月10日勝浦発06時40分 大原着12時20分 20km04時ころから一人で港に吹き寄せられた海藻類を掃除している方がいる、環境問題語り合ってから出発する。
予報通り北東の風が強く、途中岩和田で様子を見るが更に強くなる気配もないのでそのまま頑張ったが進みの遅いのにイラついた。
ギリギリと漕いでじりじりと進む。
岩船付近で崖が崩落する瞬間を見る。
八幡岬手前の人跡未踏の海岸で男が一人居るのを見る、周囲は高い崖、どうやってそこに来たのだろう、釣り人でもないし、サーファーでもない?
明日の荒天予報に備えて港の一番奥にテントを張る。
食料の買い出しに行こう、1日1000円の予算はなかなか厳しい。
4月9日6時50分鴨川発 10時勝浦着 出る時は無風べた凪、暑くなりそうなので合羽を脱いでシャツ一枚で漕ぎ始めた途端に予報通りの南西の強風と追い波、天津沖では2隻の漁船とニアミス、向こうほとんどこちらの存在に気付いていない模様。
途中二度沈しかかる、三度は波の頂上でほぼ180度回されてしまう。
勝浦漁港入口まで辿り着きホットしていると、大型漁船が出て来る。やり過ごそうて待機しているとそのまま近づいて来る、三度目のニアミス、おお怖!
今日は温泉にでも入ろう。
07時白浜漁港発、14時鴨川着。
波穏やか風は追い風気味、そのわりには7時間漕いで30キロメートル、逆潮だったのか、年のせいか?
時間も早かったので興津まで行こうかと思ったが、上陸地点の水 トイレ キャンプ適地等等のインフラのいい鴨川に上がった。携帯の充電も出来たし食品の買い出しも出来ました。
出発して8日目、ようやくバッキングの要領も得てきた。
10時大房岬発 15時白浜漁港着。
朝は風も波も収まっていなかったので出るのを諦めて散歩にで、桜や家家の庭に咲いている名も知らない花々を楽しみ、鶯の声に聴き惚れながら那古船形の崖観音をお参りする。霊剣あらたか、たちまち波風収まりはじめる、慌てて支度をし出航する。そばでみついたオバサン 釣りに行くのかね? 日本一周中です ア〜そう なんの感激もない。州崎まででもと思っていたが、東京湾を抜けた途端潮流にめぐまれ意外と順調に進め白浜漁港まで来る事が出来た。
漁師さんいわく 今日は午後から潮が入って来たからね。
明日は鴨川くらいまで行きたいものだ…。
09時孫達に見送られて保田発、まだ海面はざらついているもののこのコンディションが続けば、千葉県の先端を回り込めるなと思ったのも束の間、大房岬を少し過ぎた頃より風が強まり太平洋から入り込む波もますます高まる。
2時間も頑張れば州崎なのだが続いていた大時化にいささか神経質になっていたので、大房岬の東側に逃げ込む。いささか焦っていたので海岸線へのアプローチを間違え二度もローブレースで持ちこたえるはめになる。
上陸して二時間後には風も収まる、今日は少しびびり過ぎたかな。
4月5日 まだ保田
出ようか出るまいか迷う事のない風と波、この案配だと土曜日まで残んかも知んねぇど と 気の滅入ることを云われてしまう。
そんななか、家内から電話があり これから保田へ行き一晩泊まります との事。
ラーメンと餅の食事にも飽きてきたとけろなので嬉しい。
連日の強風の中でも桜は二分から三分へと確実に歩を進めている。
私にもやがて海路の日和が訪れるだろう。
風 波とも収まらず、迷いなく停滞決定。岸壁を越えてくる波しぶきが白煙の様に見える。視程最高、丹沢山塊まで見通せる。
脱サラの漁師さんらと雑談、ところでエンジンはどこについてんだよ え!手で漕いでいくってかよ! このあたりが平目とれんだども、この時化だば船だせんべ、食わしてやれんべー。
全ての装備品の乾燥も終わり、荷物の整理も調子に乗って来ました。
4月3日14時30分警察と魚組の指導で民宿に避難させられる、漁民の皆さんに心配かけられないのでやむを得ない。
でも、もっと早く言って欲しかった。
大雨の中での撤収作業、おかげて全ての装備がびしょ濡れ。
明日晴れても乾燥作業に1日かかりそう。
木更津発09時〜保田着14時30分。
昨日、後部隔壁からの水漏れが発見され、クリアウォーターの清水社長が持ち帰り徹夜で直し今朝再び持って来てくれる。感謝!
今日は細田さんめ同漕してくれる。
明日は嵐の予報なのでここで停滞予定。
浦安出航06:55
木更津港着14時30分、中間地点の海ホタルまでは、春の海のたりのたりかな、の絶好のコンディション、それが海ホタルを11:40に過ぎた途端に南の強風前進不能となる。
必死の思いで木更津港へ逃げ込む。
女心と秋の空以上の急変、驚いた。
明日は穏やかになりますよう祈りながらおやすみなさい。
出発前
緊張している?していない?
出発直前 浦安市役所前の境川です。
三浦さんがエールに応えるところを撮ったつもりが・・・・・
そうは見えない。
このあと声援を背に2回目の日本一周へ出発しました。
海は目の前
艇庫を過ぎ・・・・・・・・・
エイプリルフールと言いながら艇庫に艇を片付けようとして・・・
そんな事はなく真っ直ぐ海に向かっています。
夜になると思いますが三浦さんからの航海日記が送られてくるのが楽しみです。
気を付けて!!
自宅でリラックスしています。
千葉県浦安市