5月31日大間停滞中。
買い物がてら大間の町をほっつき歩く、
町中に漂う荒涼感、何故だろうと考えて見ると、木がない、空き地がおおくそこにはイタドリが繁茂しているだけ。
色彩がない、古い家は、削り出しただけの板造りで、それが灰色に変色しところどころひび割れしたり欠けたりしている。
浜辺には打ち捨てられ朽ち果てた小船が雑草の中に多数見られる。
これらの風景を吹雪の中に想像すると、なんだか肩をすぼめて歩きたくなる。
夕方、漁師さんに聞いたと言って、東奥日報の記者が取材に来る。
今日は、キヤンプ場はおお賑わい、自転車、老夫婦のキヤンパー、大型キヤンピングカー、満艦飾の軽自動車、ジョキングでの旅人。
いろいろなスタイルでの旅人がこんなに多いとは、そういえば大型バスも何台も入っていた。
5月31日
昨夜からテントを叩く風の音が止まず、出るのを迷っていたが一応出航の準備を整えていたら、今日はこれからますます強くなるから無理無理 と 漁師ストップがかかる。
昨夜は、バイクで旅をしている若者(6月4日までここに滞在するそうな)と、釣り行脚をしている50年配の二人連れとで酒盛りになり、旅の目的や意義、旅の起源などなどで話しが盛り上がりました。又、前日までは1年の内11ヶ月は旅空夜空で過ごしている、という凄いバイカーも滞在していました。
先程までテントのお店の美人女将あけみさんと、人生論を語り、来し方を語り合って楽しい一時を過ごして来ました。
さ〜て今日はどうやって日を過ごそう、碁会所でも探そうかな。
5月30日海峡の海況回復を待ってます。
午前中は晴れてはいるもののガスッテ北海道は見へず、午後からは南西が強くなり一面の白波。
漁師さんに情報の収集を計る と カヌーで渡るってか?たいていは否定的。
天気だけは良いので全ての装備品の乾燥を行う。
宿の女将さんに買い物に連れて行って貰う。
キャンプ場にはいろいろな人が入れ替わりた 立ち替わり出入りしています。
その話しは又何時か。
大間のマグロとようやく会えました。
この写真は27日曜日に沼尾さんに案内され偵察に来た時のものです。
今日は濃霧で向かいの弁天島もよく見えません。
5月29日05:20風間村 発 08:30大間 着 15km
昨日の風も止み波も無し、朝飯もそこそこに出る。
潮も東から西。
だが1時間もせずに濃霧、ホワイトアウト。
陸に近付くと潮波がブレイクしており危険なので沖合いを漕ぐ。
潮目の三角波は始末が悪い。
途中の晴間に大間先端の弁天島が見えたが単なる陸地と勘違いし通過してしまう!
到着予定時刻を過ぎても何にも見えてこないので、とりあえず南に転進する。
暫くすると一瞬の晴間に陸影が見える、
同時に漁船も見え現在地を確認する。
何んと、着いて見ると小1時間前に通過した所じやないか。
でも、とにかく無事着いてホッとする。
そして又も雨と風、ここは芝生の広場、ウォシユレット付きトイレ、屋根付きgas付き、携帯充電okの最高のキヤンプ場なのだが、大間到着祝いも兼ねて民宿に入ります。
5月28日07:10下風呂 発 09:30風間村 着 10km
風向きが変わって北東の風、かなり強いが追い風気味なので思い切って出てみたが強過ぎました。波と風に翻弄されて進路の維持もままならなくなったので、ここ易国間(イコクマ)に上がり、風止みを待っていますが今日は無理みたい。雨も降り出しそうですのでテントの設営に入ります。
漁業組合の事務所からこのメールを打ってます。
その後、車に乗っけてくれる人があり桑畑温泉湯ん湯んに行く。
入浴中の漁師さん方といろいろ話すと この風が吹くと2〜3日続くよ とのこと、明日もこの温泉で1日ごろごろするよりしようがなさそう。
大間は遠い…。
5月27日06:20石持漁港 発 12:00下風呂港 着 25km
10時ころまでは快調、ウニ獲りの漁師さん(この辺はダイバーを使っての潜水漁)から大きなウニを三個ももらいその場で頂く、美味し。
その後又も向かい風向かい潮がきつくなる。様子見と腹ごしらへの為手近な漁港に入っていると、沼尾さんから電話、後5k程で下風呂とのこと、必死の頑張りでようやく下風呂港にたどり着く。
ここは私の大好きなキャンプ地、大きな海水の池があり、いわしの群れも、ウニも、ナマコもいます、水道 トイレ 芝生の褥 そして550年前からの温泉地です。
沼尾さんに案内され大間の偵察と買い物。残念ながらコンロ用のホワイトガソリン入手できず、火をあまり使わない様に主食をフランスパンに切り替えます。
夕方から風も収まり夕焼けも綺麗です。
今度は本当に北海道が見えます。
明日こそは大間へたどり着くぞ!
5月26日06:30岩屋漁港 発 11:30石持漁港 着15km
先ずは訂正
塩屋崎は尻屋崎が正解
北海道が見えたと思ったのは、下北半島の山並みでした。
昨夜の雨も上がり晴天なので、大間まで頑張ぞ!の意気込みで出たものの次第に西の向かい風と向かい潮が強くなり断念、ここ石持漁港漁港に逃げ込む。
早速 沼尾さんが差し入れを持って陣中見舞いに来てくれる、有り難う御座います、なんだか青森県に居る間お世話になりそう。
それにしても下北半島の風力発電は凄いかず、下北半島が空に舞い上がりそう。
5月25日06:35泊港 発 15:30岩屋漁港(塩屋崎を回り込んだ所)50km。
一日中全てが穏やか順調に距離を伸ばすことが出来ました。
北海道が望見できます。
今日の様な天気が続けば明日は大間まで行けそうです、と 言ってるうちに雨が降り出しました、しかも結構激しいです。
先日の大沈でラジオもやられてしまい、天気予報も聞いてません、朝 起きた時の状況で出るか出ないか決めてます。
塩屋崎の馬は見えませんでした。
5月20日06:45六ヶ所村 発 11:30泊漁港 着 15km
西風を避ける為岸に寄り過ぎました。
ハッ!と思ったら右側に見事な大波、見た瞬間やられたと思いました。二、三回転がされてようやく水面に顔がでました。
パドルフロートを使ってロングロール。
帽子、眼鏡、茹で卵2個行方不明。
後で漁師さんに聞いたら、ここは特別波が高くなる所だそうです。
油断しました。
携帯が助かったのがなによりでした。
温泉に入りました。
5月23日 雨 北北東の風 六ヶ所村停滞決定。
明け方より降り出しだんだん強くなってます。海上は波浪注意報、前回の時もここで雨停滞したのを思い出しました。
5月22日06:55三沢港 発 14:00六ヶ所村 着 33km
八戸からこの辺までは1km毎に沖合い100m位まで突堤が櫛の歯の様に突き出ている。潮流による土砂の堆積や流失を防いでいるのか?いづれにしても、そんな物でもなければ何にもない退屈な海岸線が続く。
ここは、前回の時も寄港した港。
今朝、テントを撤収時に風に煽られてテントを飛ばされてしまい、ターフに4ヶ所穴をあけてしまった!水漏れ防止テープで補修する。
左足がつりました。
たいていの船は風上にバウを向ける様に出来ていますが、我が愛艇も実に素直に風上に頭を振ってくれ、今日の様に16時の方向から強く吹かれると、左へラダーを踏みっぱなしで進路を保ちます。
左足が疲れました。
5月21日06:40追越浜 発 14:00三沢港 着 30km。
港の出口も見えない濃霧、波 風はさほど強く無いので出る。八戸港手前の岬近辺では潜り漁でウニや鮑を獲っていた。
八戸港の沖合いの二重三重の長大な防波堤には参った、霧で周りの状況が分からないので港の中をぐるぐる回ってる様な不安が襲って来る。
その後、霧は薄れたが今度は東南の風が強くなり白波も立始める。
予定の三沢港に入るとなんと沼尾さんが待ち構えていてくれた、乏しくなっていた食料の買い出しに案内して頂く、助かった!
港に上がった時に、ここはカヌーの入港もテントも禁止と言われたが、漁協に行ったら、ここは避難港だから問題有りません、と言ってコーヒーまで出してくれた。
流石、三沢、jet機の轟音が凄い。
風どんどん強くなる、テント頑張れよ!
5月20日06:50久慈 発 14:30追越浜(八戸の南.15km位の所)着14:30、38km
1日良い天気でデッキの上は乾燥したままでしたが、残念ながら向かい潮で距離は伸びなかった。
でも途中から南東の追い風になったので予定通り青森県入りが出来ました。
天気が続けば今週末には大間まで行けそうです。
またまたラッキー今夜も屋根の下で休めます、浜小屋を借りる事が出来ました。
5月19日06:55発 10:00久慈港 着 18km
今日は親戚の家へ泊るのでのんびりゆったり、曇ってはいるが波無し風無し。
クリアウォーター清水社長から送ってもらった、コンロ、スプレースカゥト マップケースを受領する。
昨日、シートバックが破損し、そのお陰でパドリングフォームを崩してしまい、腰痛になり立居振る舞いがギクシャクしています、でもパドリングには差し支え有りません。
ここ、久慈湾には国の石油備蓄基地があり、そのせいで湾の入口には巨大な防波堤があり、そのお陰か津波の被害が比較的軽度だったそうです。
市内にはその傷跡をあまり感じません。
5月18日06:10羅賀 発 14:40野田村港 着 30km
出る時はベタ凪ぎ、北山崎も北の向かい風だが、この風は波は立たないので、昨日さっぱ船で観光したコースをなぞって漕ぎ進む。
いくつものもの洞窟や滝 切り立った断崖絶壁。
カヤックツアーを組んだら最高の所。
北山崎を過てから暫くすると北の強風となり、堀内(ホリナイ)へ避難する。小一時間程で風が落ちてきたので、再び漕ぎ出し此処まで来る。
漁師さん自分のさっぱ船を軽自動車で引き揚げていた、獲ってきたどんこを 食べなさいといってくれたが、とても料理出来そうもないので丁重にお断りする。
ここの漁師さんは皆言葉が丁寧で優しい。
船のもやい綱に勝手に濡れ物を干していたら、やがて船主がきて すみません、これから船を出しますので、代わりにこちらの方にロープを張りますからそちらに干して下さい という。
恐縮してしまった。
今日 羅賀で泊まった本家旅館の料理内の どんこ汁です、とにかくでかい!30cm位のがでかい器の中に丸ごと一匹鎮座ましましているのです。
高田部長の昨日のどんこ汁も美味しかったし、ボリユームたっぷりでしたが、今日のはそれを一回り上回っていました。
お蔭でこれ一匹でお腹一杯、他の刺身や蟹などには手がでませんでした。
5月17日07:35茂師 発 10:10羅賀 着 15km。
五島さんが、北山崎の観光に来るというので、ここで上がり一緒にさっぱ船に乗る。
そこそこに波もあり、岩礁の隙間や洞窟をくぐったりで、アドベンチャー観光の名に恥じない迫力があった。
平日なのに結構お客さんも有り、被災地ツアーの大型バスも3台も来ていた。
船から上がってきたら雨が落ちてきた。
五島さんさんが宿をおごってくれた、雨の中テントを設営せずに済むのは本当に有り難たい。
古い古い旅館で情緒たっぷりです。
5月16日07:00重茂 発 14:30茂師 着 30km
霧 西風に悩まされる。寄港しようとした田老港には吹き出しの西風が強く入る事か出来なかった。
陸べたでなんとかたどり着いた茂師港、ここで港の復旧工事をしていた梨子建設の高田部長さんにお世話になることになりました。
食事 お風呂 洗濯付き!
感謝 感激!
全部 部長さんの手作りです。
5月15日06:25仮宿発13:30
重茂(オモエ)着45km
宮古湾の外側の重茂半島の真ん中です。
船越湾でイルカを見ました。
船越湾で巡視船に会いました、気を付けて頑張って下さい 何かあったら連絡して下さい と 言われました。
空も海もどんより、軽い追い風でここまで来ましたが、等々降り出しました、雨の中のテント設営です…。
5月14日06:30綾里港初 14:00仮宿(釜石湾の隣りの両国湾にある小さな漁港です)
波無し南の軽い追い風、気持ち良く漕ぎました。
出がけに綾里の漁師さん、今日は行けるぞ頑張れよ!と激励してくれる。
東北の被災地のみなさんを少しでも励ましたい と 思っていたのに、話しは逆になってしまった。
ここ、仮宿でも大きな倉庫を貸して頂き今夜はその中で寝ます。
ちょいと早いけどおやすみなさい。
5月13日綾里停滞
行く積もりで準備していると、風の方向が悪い、沖に流されてしまうぞ と 漁師ストップがかかる。
素直に従い停滞決定。
綾里半島反対側の白浜まで散歩に行く、途中の小峠頂上に碑があり、ここを水合の地と云うとあり。
明治三陸大津波の時に、綾里からの波と白浜からの波が出会ったそうな…。
帰り道、畑仕事をしていたおばあちゃんから、ホウレン草、新玉ねぎ、ニラを頂く。
新玉ねぎのサラダ
綾里の漁師さんは話し好き。
震災の後は約2ケ月間孤立した、水 ガス 電気等のインフラは勿論、車もそのガソリンも道路も寸断され集落への出入りも出来なかった。
水は沢水を、明かりは蝋燭を利用したが、その蝋燭も最後には切れ瓦礫を集めて焚き火をした。要領よく、壊れた車からガソリンを自販機から飲物をお店から流れ出た飲料水やアルコールを集める人もいた。
やがて、ボランティアの方々が入り一生懸命やって頂き有り難かった。
救援物資も大量に届き、最後にはその中のいい物しか貰わなくなり、余った物の処置に係りの人も困っだろう。
補助金も出たがその配分には疑問が多い。
失った漁船購入補助金は出たが、失った船の値より高額な補助金を貰い儲かった奴もいる。
しかし、漁船購入費用はでたが、造船所や電機店等に補助金は出ていないので、これらの復旧が遅れておりお蔭で注文した船が未だに出来て来ない。
破壊された防潮堤を二倍の高さに嵩上げすると云うが地元民は誰ひとり望んでいない、そんな事より高台を整地して家を建てられるようにして欲しい。
こんな小さな集落のことなんか最後の最後何だよな…。
話しは尽きません。
風ますます強くなる、小屋を借りられて良かった〜!
それにしても今年の気象は異常だよ、全然漁に出られない、昔は、 5月に家が建つ!と云う言葉があったそうです。
今は、居なくなった魚を電子機器で追っかけ回し、最新の漁労技術で根こそぎ穫るんだから魚もいなくなるよな…。
1日退屈しません。
5月12日綾里港停滞。
雨は上がったが昨日に増しての北の強風、迷っていると漁師さんが今業小屋を貸してくれた、ガス 電気 トイレ 暖房付き。本当に有り難かった。
他に二人の方から同じ申し出を受けた、綾里港の漁師さん大好き!
これから何かお手伝い出来る事を探します。
トランジスタ−ラジオという奴は電気の大食いだね、単三2本で44時間しか保たないとは!!
日中は殆ど聞いているので4日おきに交換です。
食料事情について、冷蔵庫も無いし、艇に積める量も限られているし、一人分の買い物もなかなか難しい。
でも、料理も手慣れてきたし、レパートリーも増えてきました。
今日の夕食は玉ねぎとベーコンのバター炒めと人参 キュウリ ピーマンのスティックをマヨネーズと醤油と胡椒の特製ソースでいただきました。
2食分は作りますので、明朝も同じです。
コンロは一つですので、手順よく料理しないと、最初の物は冷めてしまいます。
とにかく、起きて食事を済ませテントを始末し、荷物を艇まで運んで(大概、艇の上げた場所とテントの張る場所は多少離れてしまいます)艇に積め込んで(この状態で約80kg)出発するまで2時間はかかります、上陸してからは逆の手順で、寝袋にもぐり込むまでやなり2時間です。慣れても変わりません。
今日は暇が有りましたので漕いでいない時のことを書いてみました。
5月11日07:05碁石海岸発 11:30綾里港着
着というより、綾里港崎を北の強風に阻まれて避難して来ました。
引き返す途中、ワカメ養殖のロープの下にバウが入ってしまい往生しました。
たいていは波より上に出る事はないのですが、今日は波も大きく上下動も大きかったので突っ込んでしまいました、危うく初沈の憂き目に会うところでした。
昨夜、志田輪店(造船所)の後藤さんが声をかけてくれ買い物に車で連れて行ってくれました。有難う御座います。
ここ、綾里港でも漁師さんが自宅まで水を汲みに行ってくれました。又、神戸の藤田さんが北海道から来て寄って行ったなどと話しがはずみました。
私の出るか出ないか、行くか行かないかの基準は、朝、海を見て沖合いに白波が立っていなければとりあえず出る(波浪注意報が出ていても)、途中で海況や天候が悪化したら、目的地までの距離や残り時間(15〜16時までには上がる事にしている)を考えて、あらかじめ決めておいた予備の港か、出た所に引き返すことにしているのですが、結構判断が難しく迷う事が多いです。
勿論、ラジオや携帯や漁師さんからも気象情報を得、回復に向かっているのか悪化しているのかも確認事項です。
只、漁師さんはたいへん慎重ですので、聞き過ぎると、自分では行けると思っても出ずらくなる時があります。
とにかく天候の変化は早いですから頑張り過ぎも禁物です。
目的地の港に良いキャンプ地 水場 テントを張る適当な地面 トイレ お店があるか等々は運次第ですかね…。
あとは、港に上がったらとにかく今日はお世話になりますの一声をかけることです、誰か親切な人に出会へます。
雨が小降りなりました、散歩でもします。
5月10日07:30石浜発 10:30碁石海岸着 15km。
波も風もない穏やかな海、今日は距離を伸ばせるぞと思った途端、北東が吹き始め白波がたち始める。
昨日も北東の向かい風でしんどい思いをしたので、今日はそうそうに手近な碁石海岸に逃げ込む。
碁石海岸なので何か碁に関わる史跡や資料や碁会所でもあるのかなと思い、散歩がてら立派な郷土博物館を訪ねてみたが何も無かった。
12時頃になったら風も波もすっかり収まってしまった、う〜ん、今日は少し辛抱がたりなかったかな。
でも雨が降って来る前にテントを設営出来たから、まあ、いいか。
漁師さんが ようやく注文していた船(ウニや貝類の覗き漁に使小型の磯船)が出来て来た、明日は進水式だ と 浜は賑わっていた。
5月9日11:30気仙沼湾岩井崎発 15:30石浜着(広田湾の右岸)
叔父に送られて北東の向かい風の中出発、荒目の紙やすりの様な海面で漕ぎづらい。広田湾手前でイルカの群れに遭遇する。
その上をカモメの群れが追いかけてあるいていた。
広田湾を横断したかったが霧が発生し、目的地を視認出来なくなり風も強くなってきたので石浜に上がる。
今日は買う物も無いのに目の前にコンビニがある。
5月8日06:55小滝発 気仙沼湾12:30着 28km
昨日女川湾沖合いで鮫とすれ違いました、今朝はテントの前を鹿が散歩していました。
気仙沼湾に艇を置いて、登米郡中田町にある先祖の墓参りに来ています。
気仙沼から南三陸町にかけて車で移動しましたが、この一帯の津波被害は想像を絶します。
港湾施設、家屋、道路、鉄道正にバラバラ、づたづた瓦礫の山です。
海岸から結構離れた内陸部の一見長閑な農村部までその爪痕が残っています。
本当に復旧復興が可能なのかと思ってしまいます。
そんな中で暮らしているお年寄りの方を見ていると、もういいよ、もう頑張らなくてもいいよ と 言いたくなってしまいます。
5月7日08:15新山浜発 14:30小滝着 30km
すっきりした快晴、波少々あるも風も霧もない。
この辺からはリアス式海岸なので、湾口は直線的に横断しているが、気を付けないと潮の出入りの流れが結構強く、コースを乱されてしまう。
又、岬の先端は何がしかの岩礁地帯になっており、ブーマーが発生するので、大概は沖合いを迂回通過するのだが、今日はうっかりして入り込んでしまい、気がついたら右手に大きな波が立ち上がっており肝を冷やした。
ここ小滝もそうだがどこの漁港も1m〜1・5m位地板沈下しており、上陸地点を探すのに苦労する。
新沼のおばあちゃん特大のおにぎり三個も有難う!三個目は明日の朝食べます。
5月5日月浦停滞
雨上がるも北西の強風、湾内でも白波がたつ。
一日中貝刺作業(牡蠣の種付に使うホタテ貝の貝殻の清掃と穴あけ)を手伝う。
牡鹿半島沿岸部の各集落は殆ど壊滅状態なので、お店も無く食料の買い出しにも困るのだが、今日はお手伝いした所の新保さんが車でスーパーまで案内してくれた、大助かり。
これからの寄港地でもお店は無いと思われるので、3日分を買い込む。
本当はもっと欲しいのだけれど、積載量の制限と日持ちとの加減があるので、この辺が限界。
風も落ちた!明日は出るぞ!
でも明日の降雨予報は60バーセント、ほんまによう降ってくれるは。
5月4日月浦停滞
井田くん再び来てくれる。
井田くんに送ってもらい鮎川の阿部女将の所へ行き、お風呂と洗濯を馳走になる。
ここで、ベルギー人のダークさんに会う。若い時には世界中を旅して歩いたが、今は日本人の奥さんとの間に大学生の息子もあるとのこと。
この一年は,石巻市を中心としたボランティア活動のリーダーとして活躍しているとの事。旅 捕鯨 地球環境と話題も多岐に渡り、また日本人と異う感性もあり楽しかった。
彼の車で阿部女将と一緒に老人だけの家庭を訪ねて話し相手になったりして一日を過ごし、最後にまた月浦へ送ってもらう。
帰ってみて驚く、この地区の地盤沈下と満潮が重なり、マイハウスとしているコンテナのそばまで潮が満ち車も入れない状態、そして又雨が降って来た…。
5月3日月浦停滞
暴風大雨大時化濃霧警戒警報、何とも賑やかな天気。
こんな天気の中、井田くんがわざわざ応援に来てくれる、有難う。
同時に仙台から東さん、安彦さんも来てくれる。
早速、金華山ツアーの時にお世話になった太平荘の阿部女将が鮎川の仮設住宅にいると云う事で案内される。
毛蟹、ツブ貝、シラス揚げとご馳走なる美味しかった!
阿部女将、仮設住宅の纏め役で大活躍、10月には鮎川の高台に新しい民宿を再開するとの事、相変わらず面倒見が良く逞しい。
東さんからも沢山の差し入れ、買い物にも行けず、食料が乏しくなっていたので有り難かった。
又、これから先の行程についてもいろいろ情報をいただき助かりました。
(写真は阿部女将宅にて)
5月2日月浦停滞
朝、移動販売車で買い物、おばちゃんが買った量の倍の量を 石巻に良い印象を持って貰いたいからね と言いながらわたしてくれる。
午前中は、三人の牡蠣漁師の準備作業のお手伝いに入る。
津波の第一波はゆっくり水位が上がってきて、引き波の時にみんな流された。
今後21m以上の場所でないと家は建てられない。
他、補助金 原発 復旧工事 等等いろんな話題が出るがみんな明るいのが救い。
お昼をご馳走になった後、午後からは、昨日、水や卵を頂いた女性達の作業の手伝いに回る、牡蠣の種を付けるホタテ貝の準備作業、地味で根気のいる手作業、女性の陰の働きと頑張りがなければ漁師の仕事も成り立たないんだなと思う。
予報は暴風大雨波浪注意報、流れ着いていたコンテナの中に居を移して対応おさおさ怠りないのに、ここは桜の花びらが時折ひらひらと舞う長閑さ。
漁師さんに言わせると、 あの半島の向こうに回ってみな、ひどい事になってるぞ!の言に納得。
あっ!今が降り始めた、明日もダメかな?
5月2日月浦停滞に決めました。
漁師さんのお手伝いでもします。ところで、長谷倉は 支倉六右衛門常長が正解でした。
5月1日野蒜07:00発 石巻市月浦漁港着15:00 28km
濃霧の中、牡鹿半島先端を目指して石巻湾横断にかかる、波も風も無く鼻歌交じり。
11時には霧も晴れ、目的地も視認できほっとした途端南東の風が吹き始め最終的には10mをこへる。
時間はあったので頑張ったが、結局は吹き寄せられるように辿り着いたのが、ここ月浦漁港。
ここは、伊達政宗が長谷倉常長に遣欧を命じ彼が出発した地、地形からみると相当秘密裏に事は進められたものと思われる。
大阪からスーパーカブで来たと云う、自称資格マニアの牛込さんと名刺交換する。
浜でスズキを鉈で捌いていた親娘に水と卵を頂く、有難うございます。
千葉県浦安市